どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

トイデジ AGFA sensor 830s

片付け物をしていると、昔に買ったデジタルカメラが出てきた。

確か、通称『トイデジ』と呼ばれていた物で、どれくらい前だったか忘れてしまったが、流行った物。

いや、正確にはこのメーカーの他の機種で、505Dとかいう商品がちょっとしたブームになっていて、それが手に入らず、代わりに買ったものだったと思う。

当時は意図的にブレさせた写真やら、露出オーバーにしたような写真が出回っていたような記憶があるが、個人的には作為が過ぎるのもわざとらしさが出てしまい、見ていて何となく心に引っかかりのようなものを感じる。

あくまで偶発的に生じたミスショットが面白いのであって、下手が余計なことをしないほうがいいと思う。

プロはさすがその辺りをコントロールして演出して見せるのだが、素人の私には無理だ。

―久しぶりに830sで写真を撮ってみる。

設定はあくまでオートでカメラ任せ。

個人的に気に入った情景が映しだされるというのは、なんとなく嬉しいものだ。
ただ残念なことに狙ってだせるものではない。そこが素人の悲しいところ(笑)

明るい場所では普通に撮れてしまうことがほとんどで、なんとも古い時代を感じさせるような映像になることはあまりない。

(ああ、それで露出オーバーに設定して撮影するわけか)

逆に暗い場所。撮影する時点では暗いという認識もなかったような場所なのだが、トイデジで撮影すると真っ黒に映ってしまう。一瞬理解が遅れてしまったが、理由はすぐにわかった。『スマホ』の性能に慣れてしまったせいだ。

多少暗い場所であっても「補正」「合成」と様々な処理を駆使し、スマホは条件の悪さを内部処理で修正してしまう。その感覚が当たり前になっていた。

手ブレなんて言葉は記憶の片隅に追いやられ、「長時間露光」や「三脚」なんていう言葉が蘇る。

「ああ、昔の写真は三脚で固定しないと、手ブレを起こしていたんだったな・・」

大した技術でも知識でもないが、使われない技術というものは、こうも簡単に忘れ去ってしまうものか。

それにしても”良いもの”が撮れたという気分。
この感覚もスマホによって忘れてしまっていた感覚だ。

なにせスマホは失敗しない。考えなくていい。
だからどうも感動が薄いような気がする。

『思い出を残す』という行為ではなく、『記録用』『メモ』としての役割になっているように感じてしまう。

記録用の道具としては素晴らしく便利であり、ストレスを感じさせないのは大変な技術であると思う。『二度と無い瞬間を逃さない』という意味は大きい。

それでもスマホの写真は見返していても『どこかの誰かが撮った写真』とか、”パンフレット”でも眺めているような気持ちにしかならない。どこか無機質。なんとなく味気ない気がする。

たまたま見つけ出した古い『トイカメラ』だったが、スマホには無い『出来の悪さ』がなんとも人間臭くて懐かしい。そんな気分を味あわせてくれた。