どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

先生という敬称

”先生”という呼び方に対して、どうも抵抗や違和感があった。

実際に学びを受けた人物に対しての先生には抵抗がない。

ただそれが、直接学んだことのない人物に対して使われているのを聞くと、どうにも居心地の悪さのようなものを感じていた。

例えば歴史上の人物だったならば、そもそも生きている年代が異なる。
直接教えてもらうことなど不可能だ。

それと、誰にでも先生と付けておけばいいだろう。そのような考えで先生という言葉を使っている人間を見ているのが、どうにも気持ちが悪い。
そういう人間はやたらと先生を連呼したがる。

そういうやたら”先生”を連呼する人間を除いて、自分が感銘を受けた人物に対しての敬称としての先生。これを使うのは自然なことなのかもしれない。そういう風に考え方が変わったのが今朝のこと。

何も直接会って教えてもらうことだけが学びではない。
その人物の、たった一言だったとしても、それによって自分の考え方や感じるものが変わったとするならば、それは先生と呼ぶのに相応しいことではないだろうか。

ふとそう思えた。