どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

大泉洋さん

大泉洋」さん。
思わず「洋ちゃん」と呼んでしまいそうになる人。

母親がTVを見ている。大河の特集か何かだろうか?
それらしいのがやっていた。

大泉さんはもうずいぶん長いことTVで見ている顔。
バラエティ番組。映画。舞台。そして大河。

これだけのキャリアがある俳優だと、まぁなんというか。
それなりに”風格”のようなものが出てきてもおかしくない。

風格は言ってしまえば高圧的である。とも取れる。
大泉さんと直接お会いしたことはないが、画面ごしに見る彼の姿はひょうひょうとしていて、ちっとも威張っている風ではない。

ちょっと思い出したのが「タオ(老子)」の中で語られているたとえ。

タオの人がすばらしいのは
水のようだというところにある。
水ってのは
すべてのものを生かし、養う。
それでいて争わず、威張りもしない。
人の厭(いや)がる低いところへ、先に立って行く。
水はよほどタオの働きに
近いんだ。

加島祥造著 タオ 老子 第八章 水のように 一部抜粋)

うろ覚えの表現で書くのもどうかと思ったので、一部を抜粋させてもらった。

この反対の人はどうかというと。
「馬鹿と煙は高いところへ上る」
そしてどちらも煙たがられる。

大泉さんを見ていると、ちょっとタオの働きのような生き方をしているんじゃないかな?なんて思えてくる。