どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

五感で食べる

食事のときに”視覚”だけで食べている。
そういう人は、意外と多いのではないか。

食事なのに視覚とは妙なことを言う。
そう思われるかもしれないが、”ながら”で食事をしている人は多い。

スマホを見ながら」
「TVを見ながら」

刺激の強い情報は、弱い感覚をぼやかしてしまう。
だから食事をしても「なんとなく旨かったかな?」くらいの情報しか残らない。

人との食事の時間というものは楽しい。
楽しいんだが、お喋りに忙しくてあまり味わえていない。
話を聞いて理解して、「次になんて返そうか」「あの話題を話したい」などと、頭の中はせわしない。

そういう時間を全て否定するつもりはない。
楽しい食事の時間も大切だ。

でもね。
味覚以外の感覚。外からの情報じゃなくて、自分の中で起こっている感覚にまで意識を向けてみると、これが意外とおもしろい。

お膳の彩りを見て楽しむ”視覚”
舌触りや歯ざわりなんかの”触覚”
香りを楽しむ”嗅覚”
汁物をすする音を感じる”聴覚”
そして食事の醍醐味の”味覚”

こういう感覚を受けて、自分のカラダに起こる変化を観察してみる。

― たとえば。

「鳥肌が立つ」と言って腕がぞわっとする感覚。アレで無意識に腕や肩をさすってしまう。カラダに起こった強い変化だと感じやすいから、みんなだいたい同じようなことをする。

食事で受ける感覚なんて小さなものだから、よほど注意を向けていないと気づけない。

スマホやTV。或いは、ざわざわと騒がしい店内や、BGMでも感覚が鈍る。

その小さな変化と向き合うことっていうのは、どこかしら瞑想をしているような感覚と似ていると思った。

日常で、自分の中にある全ての感覚を気にしていたら、とてもじゃないけど生活がやりにくい。

たまにでもいいから静かな場所で。
一人で食事できる環境をさがしておいて、そこで自分の中にある感覚をぞんぶんに感じてみる。

瞑想やマインドネスフルなんてことは取り上げられもするけれどね。
そういった自分の中にある”小さな声(感覚)”に意識を向けてみるのも面白いと思う。