どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

言葉の受け取りかた

ほんとうに何なんでしょうね。

一気に意識がずわっと吸い寄せられるような感覚がある文章と、読み始めると文字が散り散りになるように崩れていって、気持ちが散漫になる文章。そんな感覚の違いが文章(作品)によって、確かにある。

内容は一見すると凝ったものでなく、日常のヒトコマが綴られていたり、写真にちょっとしたコメントが添えられているいるようなものもあって様々。

文体や表現方法は人それぞれで、特に決まったフォーマットのようなものはない。

行間がぎゅっと物理的に詰まった文面は苦手なのですが、それでも引き込まれるように読んでしまうものもある。

自分でも何が”心のひだ”に触れているかはわからない。

― やはり自分というものが一番見えにくい。

疲れているときなどは集中できないのはわかる。
それでも引き込まれる文章や写真というものは、その疲れを忘れさせてしまうチカラがある。

ついついそれで寝不足になってしまったり、予定の時間ぎりぎりに動いてしまう。

これだけ映像という媒体が発達した時代になっても、文字というアナログな媒体が人の心を離さない。
― 人間の原点のようなモノや、本能が関係してくるのだろうか?

ああ、単純に自分が枯れてきて、そういった新しいものに馴染めなくなってきているだけなのかもしれない。

若い頃にはそういった人などをひと括りで捉えて、「ジジくさい」などと思ってしまうものだが、歳を重ねて若い頃の言動を思い返してみると、どうにも気恥ずかしくなる。

だから単純に歳というだけの話では終わらない気もしてくる。

シンプルであるから。
ある意味での限界であったり、制限のようなものがある文字や言葉による表現であるが、制限があるからこそ、そこにぎゅっと凝縮された想いが読み手に伝わると、爆発的にエネルギーを生み出すのではないか。

書き手の意図しないところの解釈。そういったある意味での"誤解”のようなもの。そうした読み手独自の味わい方により、文章は如何様にも広がる可能性があるのではないだろうか。

だから悪い意味での”誤解”が生じることもあるのだが。