卵かけ飯
卵かけ飯のような文章が書けたなら、最高だろう。
一時の流行のようなものでもなく、自然と日本人の食生活の中に溶け込んでいて、在り続けている。
米、卵、醤油。極めてシンプル。
で、ありながら、人を惹きつける。
どれが欠けていても卵かけ飯は成立しない。
そこから発展させたバリエーションは様々あるだろうが、やはりオリジナルは偉大だ。
― そんなことをふと思う。
シンプルすぎて見失ってしまいそうになるとか、気づかずに素通りしてしまうこととか。
どことなくタオ(老師)のようでもある。
大袈裟かもしれないが。
派手に飾ったものは刺激が強過ぎて、その真ん中にあるものが見えないことがある。
見えないというか、人間の感覚が誤魔化されてしまう。
そう、まるで何かに化かされてしまうように。
そうして目くらましに気がついて中をのぞき込んで見てみると、そこには何もない。そういうことがよくある。
そういう所から離れてシンプルに生きる。
そうするとシンプルさの奥。そこに広がる懐の深さのようなものを感じられることがある。
上っ面で生きていないところに触れられたような気がして、なんだか落ち着いた気持ちになれる。
そういった言葉で上手く表せられないような。
いや、上手くやろうとするからできないんだ。
上手く見せようとすることは、上っ面を飾り立てるようなもの。
卵かけ飯はいい。
実にシンプルで、その素材が丸出しだから。