どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

土地の習わし

今年も稲刈りが終わりに近づいてきている。
この時期になると、すっかり朝晩は冷え込むようになる。

昔ながらの田園風景の中に、ピンク色をした卵が目につく。
ジャンボタニシ」《スクミリンゴガイ(学名 Pomacea canaliculata )》の卵だ。

確か食用で輸入したのはいいが食べる必要がなくなり放置され、それが逃げ出して西日本を中心に拡大したのではなかったか?

食用で輸入したものとか、何かの駆除目的で持ってこられたものは、多くが失敗している。
(当時の食糧危機を考えると、全てを否定するわけにはいかないが)

全てがそうなっているかはわからないが、成功例の話を聞いたことがない。

なんというか。
人間の浅はかなところを見ているのと、自然環境がいかに複雑に絡み合いながら、絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。ということが痛感させられる。

どことなく人間は世界の支配者であるように勘違いしているようにも映るが、人間も自然界の中に住まわせてもらっている”だけ”の存在なのだと、ワタシは思う。

自然災害が多い日本に住んでいると、どうしたってその脅威に晒される。誰もが少なくとも一度は経験していることだ。

日本で生まれた神道は、全知全能の神様というわけではなくて、多くは荒神として奉られている。

人間のチカラなんてたかが知れている。
自然の中では、実に無力だ。

だから「どうぞ静まりください」と、願いたくなる気持ちはわかる。

御神体が山そのものであったり、巨石であったり。
擬人化された象徴ではなくて、自然そのものを奉ってあるのを見ても、自然界そのものが人知の及ばない脅威。そういう認識なのだと納得できる。

商業目的でのお祭り事も、別にやるなとは思わない。

ただその土地ごとに行われてきた行事を人が忘れてしまったとき、自然界からの”しっぺ返し”でも来るんじゃないか?と心配にはなる。