どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

人はどこまで介入するか

さも全てを知っているかのように振る舞い、あらゆるモノが減っただ増えただと騒いでいる。

それは本当に人間が介入すべきところなのか。

人類が環境だ何だと騒ぎ出してどれくらいの年月が経ったというのか。

人類と呼ばれる種が誕生する以前から、地球は様々な変化の連続だったはずである。

例えば他種。
おそらくは人間が正確に把握できない程の種が生まれ、消えていったのではないだろうか。

そこには人間の干渉など存在するはずもない。
世界は途方もない大きなサイクルの中で回り続け、人間の干渉などは砂粒の1粒。もしくはそれ以下の存在に過ぎないかもしれない。

全てを平等という真っ平らな世界にしたいと願う人たちもいるが、果たしてそれは本当に自然なことなのだろうかと考えてしまう。

助けられる手段を持っていたとして、目の前の人を助けようと思うことは不自然なことだとは思わない。

ではどこまで手を伸ばすのか。

地球環境などという、私からすればとんでもない規模で物事を語っている人もいるが、何を持って正解としているのかわからない。

結果は未だ現実になっていない未来のことであるし、過去の結果も時代が変われば、解釈そのものが変わってしまうかもしれない。

では何もぜずに傍観しているべきなのか。
ひょっとしたらソレも正解の1つになる可能性だってある。

自然だ環境だとあれこれやってみる前に、しようとしないこと。

『無為』

人は何か見落としてはいないか、余計なことをやってないかと不安になることもある。