どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

その時代にできた言葉

最近でてきた言葉というのは、どうも無機質に感じる。

自然のことを考えました。
地球のことを考えました。
環境のことを考えました。
そうしてできた言葉です。

本当にそうなのかと疑いたくなる。

そこ言葉は物事の上っ面だけを触れているようであり、その本質までには到達し得ない言葉。

物事をある一面からしか見ていない。
或いは―
あえてそうしているかのようにも感じる。

私は凡夫の者であり、物事の真理なんぞに辿り着けるような者ではない。

あくまで個人の感想だ。

だた、そう感じている人も少なからず居るようである。

直接的な言葉で言い表されることはないが、その不透明な部分に懐疑的であるようだ。

その美しい包み紙の中に、本当の価値があるものが入っているものなのか。

本当に価値があるものというのは、見た目を取り繕う必要などない。
それは在るだけで心が感じるはずだ。

人は物事の本質は目で確認するよりも、なんとなく肚の底にあるモノで感じ取っているのではないか。と私は思う。

だから巧みな言葉で語られる美しい物語。そのような話であっても腑に落ちず、気持ちの悪さを感じているのではないか。

頭であれやこれやと考えを巡らせたところで、100年も経てば世間の価値観はまるで変わってしまう。

そんな中、真理とも言えるようなものに辿り着いた人の言葉は世に残り続け、人の心を掴んで離さない。

時代の価値観のようなものは変わり続け、それが何の価値があったのかさえ理解されなくなってゆく。

時代の都合で生み出された言葉に惑わされることがないように、頭ではなく、あくまで肚で感じることを忘れないようにしたい。