どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

良い意見の出し合い方とは

良い考え方、もしくは話し合いの様子を思い浮かべてみると、声は胸に着いたように落ち着いた穏やかな声で裏返ることはなく、口角から泡を飛ばすようなことはない。

表情は穏やかで強張りをがなく、頭に血が上っている様子もない。
肩には力が入っておらず、握った拳ににも力は感じさせない。
腰はしっかりと据えられていて、よそよそしく浮き立つこともない。

他人の意見を遮るようなことはなく、話が終わるまで大人しく耳を傾けている。

この真逆な状況で思い当たるのがワイドショーである。
他人の意見など聞く耳持たずといった感じで、次に自分が何を言おう何を言おうかと身構えている。

おそらく襲いかかる獣の思考は似たようなもので、頭には相手を倒すことしかなく、相手と理解し合おうなどという考えはないことだろう。

相手を言葉という牙や爪で打倒し、ねじ伏せて「どうだ。自分のほうが正しいのだ」と見下す。

獲物を仕留めた後は強者の優越感に浸っている様子で、誰の言葉も耳に届きはしない。

これである。
私がTVショーを不快に感じて、視聴する気持ちにならない理由。

ショーとしては盛り上がりがあり、視聴率が取れる手法なのかはわからないが、これでまともな話し合いができるものなのだろうか。
(結論など端から求めていないのかもしれないが)

我が家で視聴することはなくとも、公の場に流れる放送というものは止めようがない。自らがその場を去るか、目を閉じて耳栓でもしているしかないだろう。

漫画や映画の暴力的な描写は規制されているのだが、それは見るものに悪い影響を与えない配慮ではなかったろうか。
年齢制限がされていることもある。

だとすると、大人の醜態というか、言葉の乱闘のような状況を誰もが視聴できる環境というのは、果たして如何なものかと思う。

全てを規制しろとは言わない。
暴力的なコンテンツであっても、視聴制限を設けることで世に出回っている。

ワイドショーのような”攻撃性のあるコンテンツ”であったとしても、視聴制限を入れることで、子どもたちへの悪影響を防ぐことができるのではないか。