どうでも良いことを考えてしまう。

なんてことはない、日常で思ったことのつぶやき。

浮足立つことなく

浮足立つことなく、落ち着いて物事を見られる人が増えれば、煽る人たちが大声で騒いだところで世間は乱れない。

大声で騒いでいる人たちに気持ちを乗せられ、冷静な判断ができなければ舞い上がる。

思い起こしてみると、真理というか、物事の本質を知っている人の言葉数は少ない。

これは勝手な想像でしかないが、余計な言葉というものは本質を伝えるのには向いていない。言ってみれば不純物のようなものなんじゃないか。

いわゆる達人と言われている人の言葉は凡人には理解が難しく、あれやこれやと解説してもらわないと、どうにも理解が追いつかない。

だかその道の先を行く人からしてみると、それは余計な混ぜ物でも加えている行為なんじゃなかろうか。

混じりけのない空気を相手に『これだ』と見せるようなものだから、真意を感じ取れない者からすれば、そこには何も無いようにしか映らない。でも空気はそこに存在しているし、それを使って呼吸だってしている。

空気に煙でも混ぜればその存在は見える。
見えるが元々の空気とは異なった存在に変わってしまう。
何とももどかしい。

反対にメディアで仕事をしている人というのは言葉数が多い。

放送事故というのだろうか。
メディアとは極端に『間』というものを嫌う性質があるように感じる。

そういう存在であるから、物事の純粋な部分。
全てを削ぎ落としたような発言をする人物とは正反対。相容れない存在のような気がする。

メディアから重宝される人というのは、余計な話を他所から持ってきて、上手いこと混ぜ込んで発信できる人ではないか。

メディアの性質上、どうしてもそうならざるを得ないのは、なんとなく想像できなくもない。