全ては1つだった
『かつて全ては一つだった』
そのような言い回しにすると、とても胡散臭いことを言っている風に聞こえるが、宇宙は最初泡の一つだったと提唱しているのは学者である。
(諸説あるにせよ)
朝寝ぼけていたせいか何なのかはわからないが、おそらくは夢の断片みたいなものだろう。
『○○も・・。△△も・・。☓☓も・・。そして宇宙もかつて全ては一つだった』
そういう言葉だけの夢を起きがけに見た(聞いた?)ものだから、朝食を摂りながら「・・宇宙の始まりが一つのモノだったのなら、この米と自分も元は同じモノということか」などと考えてしまった。
食事は一旦吸収された後、体を構成するモノの一つになり、代謝によって排泄される。また分離するということだ。
そういう物の見方をしていると、実に不思議な感覚というか、奇妙な気分になってくる。
過去に生きていた偉大な人物を構成していた物質も、火葬されていたならば灰になって大気を廻り、分子の一つくらいは今の自分を構成しているモノになっているのかもしれない。
まぁ、それは偉大な人物でなく、犯罪者ということもあるだろうが。
全ての細胞が入れ替わるのが何年だったか忘れてしまったが、それでよく別人格の人間にならないか不思議なものだ。
そんなことを考えていると、今度は「魂の在り処」やら「心はどこに在るのか」なんてことが浮かんできてしまう。
脳細胞は入れ替わっているのだろうか?
代謝が行われていれば、脳細胞も入れ替わっていると思うのだが。
入れ替わりながら情報はコピーでもされているのだろうか?
まぁいい。その辺りのことは研究者に任せておく。
ITの時代であるから情報も入手できるのかもしれないが、そこまで調べる気もない。
わからないことをわからないまま考え、アレやコレやと思いを巡らせてみる。
生きているとはつまりそういうことなのかもしれない。