気持ちが失せる
小説でも何でも、たまに”目で追っている”だけのときがある。
どの辺りからそうなったのか、気がつくとそうなっていることがある。
興味を失ったものを、なんとなく惰性で読んでいるとき。
惰性なので読んでいるというよりは、もう眺めているだけなんだろう。
なんとなく読んでしまわないと勿体ないような気がして、無理をして読もうとしても、もう興味を失ったものは読めない。
すぐに眺める作業になる。
これはマンガにもあることで、あんなに興味があって楽しめていたものが、どの瞬間からか、興味が失せている。
せっかく買ったものだから、と無理をして読もうとしても、もう頭に入ってこない。心に感動が湧いてこない。
そうなるともうカラダに無理強いしているみたいになるので、最近では途中であっても読まないようにしている。
これが資格試験なんかの大事なテキスト。そういうものであれば放置するわけにはいかない。
試験合格の先に目指すものがあれば、そこはなんとか気持ちを切り替えてやるしかない。
でもね。
その気持ちをきりかえる、或いはリラックスさせるための行為が”苦行”のようになってしまうのは、なにか意味が違ってくる。
『忙しい』という漢字の成り立ちを調べてみると、心(心臓の象徴)と亡(人がなくなる、ない)とを合わせてできた漢字のようだ。
「心ここにあらず」の自分に気がついたならば、そこからそっと離れるようにしている。